2011/01/27

文庫の棚がガラガラなのを見るといたたまれない気持ちになる

自宅の最寄り駅のそばには小さいながらも二軒の書店がある。

一軒はほんと狭くて、通路で人がすれ違うのもきついくらい。

もう一軒は、ほんのちょっとだけ広くて、かろうじてすれ違えるくらい。




立地的にはちょっとだけ広いほうがほぼ駅の真ん前で、

狭いほうは駅前の通りの並び。

駅からの距離や時間にすればほとんど違いはないけれど、

ちょっとだけ広くて駅の真ん前にあるお店のほうが、

立地的にも書店としての可能性的にも少し有利だと思う。




だけど、この「少し広いほう」のお店、

文庫の棚がガラガラなんだ。

スカスカを超えて、ガラガラ。

棚の半分は空きスペースになってる。

面出し陳列もしてるけど、その横ががらあき。

もしかしてそろそろ廃業ですかってくらい、ガラガラ。




コミックや雑誌の棚は、ちゃんと詰まってる。

もうひとつのお店より店内が広い分、

蔵書の量も多いように思う。

でも文庫の棚はひどい。




面出し陳列をまじえても、

こんなに空きスペースだらけの文庫棚を見ていると、

とても悲しい気持ちになってくる。

哀しいをとおり超えて、

なんかもう、

その場にいるのがいたたまれない気分になってくる。




だからけっきょく立ち読みもせず、

おもしろそうな文庫はないかと物色もせず、

なにも買わずに店を出る。

その足で、もうひとつの「狭いほう」の店へ。




この店はせまい。

なので蔵書量も物理的に限られる。

文庫の棚も、

棚自体の数は「広いほう」の店より少ない。

でも、棚全部がきっちり埋まってるんだ。

だからたぶん、文庫の蔵書量はこっちのが多い。




物理的制限があるから、

品ぞろえは限られる。

棚全部を端から眺めてみたけど、

新鮮な興味や驚きを感じることはめったにない。




でも、小さいながらも文庫の棚がちゃんとあって、

そこにせいいっぱいたくさんの文庫が詰まってるということが、

そういう棚を見ることが、

書店にわざわざいって棚を冷やかす楽しみなんだよな。




小売店にとって売り場はお客さんを楽しませる舞台。

書店にとって棚は舞台を彩る大道具や小道具。

なのに廃店寸前ですか?と思わせる棚を平気で見せる神経がわからない。

もしそこに疑問を感じないのだとしたら、

そんな「店」は、自分はいらない。




そして昨日も「狭いほう」のお店で本を一冊買ったのだった。

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2010/07/22

すっきり分類できないものもあるわけで

いま、10月新刊になるかもしれない原稿をちょこちょこと整理してるところ。多数あるネタ(項目)をジャンルごとに分類して章分けし構成するタイプの本。

こういう本の場合、各章のボリュームバランスを見ながら入れる項目を考え、先に目次をある程度かためて、その目次に沿って原稿を書いてもらったほうが楽なのだけど、今回はとりあえず考えうる項目をできるだけ足したうえでネタとして面白そうなものをピックアップし全体の必要項目数まで絞ることを優先したため、ネタ数はあるのだけど章分けがほとんどできてないまま原稿執筆に入ってもらった。

そうして集まった項目原稿にある程度の「テーマ・ジャンル」タグをつけ、それをもとに現在、章分けをしているのだけど、そうすると、どうしても特定の章に項目が集中しすぎるというのが出てくる。そのたびにタグの付け替えをし、別の章分けができないかを考え、なんとなくそれぞれの章のボリュームバランスが取れそうなところまで来たのだけど、こういうやり方でつくるとたいていの場合発生する「どの章にも微妙にそぐわない項目」が、やっぱり発生しちゃった。

この項目だけで章ひとつですかみたいなやつを集めて無理やりなタグ付けをするか、微妙にそぐわないけどほんの少しかすってそうな章に無理やりつっこみタグ付けを微調整するか。なんかこんな作業、つい最近も別の原稿でやってたような気がする。

やはり先に目次が固まっているほうがのちの作業はいろいろ楽だ。でもおいらは、ごちゃ混ぜになってるものを分類し整理し並び順を考え組み立てていく作業が実はけっこう好きだったりもするんだなぁ。

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2010/04/07

最初の寿司は八の字型に置く

カウンター席で寿司を頼むと、たいていの場合、握った寿司2貫をお客さんから見て\\の向きに、台に置いてくれる。これは、日本人には右利きが多く、右手でつまんで食べやすいように、という配慮からだそうだ。

でも、もちろんなかには左利きのお客さんもいる。\\向きの寿司を左手でつまむのは、ちょっとばかしやりにくい。だから職人さんは、お客さんが左利きだとわかったら、次からは//の向きに寿司を置くらしい。

なかには、さらに一歩進んで考えた職人さんもいて、いちばん最初の2貫は右手でも左手でも同程度に食べやすく同程度に食べにくいように、/\のかたちに提供する、という人もいるらしい。

\\向きで出すと左手では食べにくいから、本当は左利きだけど右手で食べる(食べようとする)お客さんがいる。寿司の向きのせいで本当は左利きなのに右手で食べ続けさせてしまっては、お客さんに申し訳ない。

ならば最初を/\のかたちで出せば、最初の1貫は利き手で寿司をつまむだろう。その瞬間を見逃さなければ、次からはどちら向きで出せばいいかがわかる――ということらしい。

自分もそういうところに敏感な人でありたいと思う。だけど自分は基本的な部分で他人や外に対する興味が薄く、もともと持っているポテンシャルが低い。それは自分でわかってる。だからこそ余計に、そういった部分に意識的でありたいと思う。

でも、鈍感なやつがかたちだけ敏感な人のまねをしても、けっきょく鈍感であることに変わりはない。

最初は/\のかたちに提供するという部分だけはまねできても、相手が本当に最初の1貫を利き手でつまんだのか、それともなんらかの理由で利き手ではないほうでつまんだのかを見極められるのは、敏感な人だけなんだ。

無神経で鈍感な自分は、たまたま相手がそのときは利き手じゃないほうで最初の寿司をつまんだことに気づかず、あぁこの人は左利きなんだと勝手に誤解をして、左利きの人に\\の向きで寿司を出し続けてしまうようなやつなんだ。

そういうことなんです。ごめんなさい。

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