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2019年12月

2019/12/25

逆説の使い方が気になる

逆説は、効果的に使えば文章の刺激となり、躍動感にもつながりますが、使い方が微妙だなぁと感じる文章に出合うことも少なくありません。たとえば次の文章も、自分には非常に微妙に感じられます。


ポーランド初のF1ドライバーとして2006年にBMWザウバーでF1デビューを飾ったクビサは、将来のF1チャンピオン候補と目されていた。

だが、ロータス在籍時の2011年シーズン開幕前に参戦したラリーで大クラッシュを演じ、一時は選手生命を失ったかと思われていたクビサはそこから奇跡的とも言える復活を遂げ、2019年にウィリアムズから念願のF1復帰を果たした。

しかし、クビサは今年F1デビューを飾ったばかりのチームメートに対して予選全敗といいところがなく、1年限りでウィリアムズのシートを喪失。右腕に完治することのない障がいを抱えているクビサは、35歳という年齢もあり、もはや今後F1グリッドに並ぶことはないだろうと考えられている。

「ロバート・クビサはファイターだ」とレーシングポイントのオーナー:TopNews 2019年12月23日(月)19:59 pm
http://www.topnews.jp/2019/12/23/news/f1/187220.html


(1)「ポーランド初のF1ドライバーとして2006年にBMWザウバーでF1デビューを飾ったクビサは、将来のF1チャンピオン候補と目されていた。」

というブロックと、

(2)「ロータス在籍時の2011年シーズン開幕前に参戦したラリーで大クラッシュを演じ、一時は選手生命を失ったかと思われていたクビサはそこから奇跡的とも言える復活を遂げ、2019年にウィリアムズから念願のF1復帰を果たした。」

というブロックが、「だが、」という逆説を表す接続詞でつながれています。

ブロック(1)から修飾的な要素を取り除き、核となる部分を端的に表すと、「クビサは、将来のF1チャンピオン候補と目されていた」ということですね。

では、ブロック(2)はどうでしょうか。

ブロック(2)には、実際には核となる要素が2つ入っています。ひとつは「一時は選手生命を失ったかと思われていた」で、もうひとつは「念願のF1復帰を果たした」です。
この2つの要素は「失った」と「復帰を果たした」という逆説的な意味合いなので、この2つが「だが」などの逆説を表す接続詞でつながれていれば、おかしなことはありません。

しかしブロック(2)のなかには、逆説を表す接続詞は見当たりません。「失った」と「復帰を果たした」は「そこから」という継続的な意味合いを表す言葉でつなげられています。そのため、「失った」は「復帰を果たした」を修飾する要素と感じられます。
そうなると、ブロック(2)全体における核となる主張は「(クビサは、)念願のF1復帰を果たした」であるということになります。
そのため、ブロック(2)の冒頭にある「だが、」が気持ち悪く感じられてしまうわけです。

ブロック(1)の核とブロック(2)の核を「だが、」でつなげると、「クビサは、将来のF1チャンピオン候補と目されていた。だが、念願のF1復帰を果たした」となります。
チャンピオン候補と目されていたが、復帰を果たした???
意味がわかりません。

F1復帰を果たすには、その前に、F1から離れている時期がなければなりません。そのことについての言及はブロック(2)前半の「失った」でされているのですが、ブロック(2)自体は「復帰を果たした」を示すことを主とした文章になっており、「失った」はあくまでも補足的な扱いです。ですから、ブロック(1)とブロック(2)を、そのまま「だが、」でつなげられると、非常に微妙に感じてしまいます。

この微妙さを解消するには、まずは、「失った」と「復帰を果たした」という逆説的な2つの要素をもつブロック(2)を、「失った」パートと「復帰を果たした」パートの2つの文に分けることだと思います。そのうえで、ブロック(1)とブロック(2)のうちの「失った」パートとを逆説でつなぎます。


ポーランド初のF1ドライバーとして2006年にBMWザウバーでF1デビューを飾ったクビサは、将来のF1チャンピオン候補と目されていた。
だが、ロータス在籍時の2011年シーズン開幕前に参戦したラリーで大クラッシュを演じ、一時は選手生命を失ったかと思われていた。


これで、「チャンピオン候補と目されていた」と「選手生命を失ったかと思われていた」という逆の意味をもった文章をつなぐという、「だが、」という逆説を表す接続詞の本来の使い方となります。

さらにブロック(2)の後半の「復帰を果たした」は、「選手生命を失ったかと思われていた」とは逆説的な意味になりますので、ここも逆説を表す接続詞でつなぎます。


ポーランド初のF1ドライバーとして2006年にBMWザウバーでF1デビューを飾ったクビサは、将来のF1チャンピオン候補と目されていた。
だが、ロータス在籍時の2011年シーズン開幕前に参戦したラリーで大クラッシュを演じ、一時は選手生命を失ったかと思われていた。
しかし、そこから奇跡的とも言える復活を遂げ、2019年にウィリアムズから念願のF1復帰を果たした。


ここで問題が発生します。元の文のブロック(3)の頭は「しかし、クビサは今年~」です。そのため、このまま単純に並べると、


しかし、そこから奇跡的とも言える復活を遂げ、2019年にウィリアムズから念願のF1復帰を果たした。
しかし、クビサは今年F1デビューを飾ったばかりのチームメートに対して予選全敗といいところがなく、1年限りでウィリアムズのシートを喪失。


というように、同じ逆説の言葉で始まる文章が2回続いてしまうのです。
これは美しくありません。なにか言い換えを考えたくなります。

そこで、個々のブロックごとではなく、文章全体を見直してみることにしました。


ポーランド初のF1ドライバーとして2006年にBMWザウバーでF1デビューを飾ったクビサは、将来のF1チャンピオン候補と目されていたが、ロータス在籍時の2011年シーズン開幕前に参戦したラリーで大クラッシュを演じ、一時は選手生命を失ったかと思われていた。

だが、クビサはそこから奇跡的とも言える復活を遂げ、2019年にウィリアムズから念願のF1復帰を果たした。

しかし、クビサは今年F1デビューを飾ったばかりのチームメートに対して予選全敗といいところがなく、1年限りでウィリアムズのシートを喪失。右腕に完治することのない障がいを抱えているクビサは、35歳という年齢もあり、もはや今後F1グリッドに並ぶことはないだろうと考えられている。


これなら逆説の使い方に微妙さを感じずに済むように思うのですが、どうでしょうか。

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2019/12/15

楳図かずお『神の左手悪魔の右手』

絵はけっこうグロくてよいのだけど、ストーリーにあんまり厚みが感じられないのが残念。絵面のどす黒さとぐちゃぐちゃ加減に対し、物語のどす黒さやどろどろ加減が負けている感じがする。
「女王蜘蛛の舌」はそこそこ趣があって悪くなかったけれど、他の話は登場人物がただ騒いでいるだけのB級スプラッタムービーと同じような匂いを感じる。
『神の左手悪魔の右手』というタイトルも、それぞれの物語に上手に使えていれば趣深いタイトルだっただろうに、ほとんど活かされていない。最終話で思い出したようにそれっぽい説明を入れたことでで、趣深いのではなく思わせぶりなタイトルになってしまった印象。


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2019/12/12

言葉の選択の不統一が気になる

最近、電車の中吊りでみかけたシーバスリーガルの広告文面が微妙に気になります。
大写しになった宮藤官九郎さんの顔写真とともに、次のような文章が書かれています。


魔法使いの脚本家
映画で監督、演出、役者
作詞に作曲、ギタリスト
多彩な男の日課はジョギング

(シーバスリーガル12年の広告より)

Chivas


気になるのは、言葉の選び方。


2行目は、「魔法使いの脚本家」=宮藤官九郎さんが、「映画」の分野においてどんな役割を果たしているかを端的に示そうとしたのだと思います。宮藤さんは「監督」であり「演出」であり「役者」であると。

もう、こう書いた時点で気持ち悪いです。


「監督」は、ここでは「映画監督」の略であり、映画製作全体において特定の役割をもった「人」のことだと考えられます。
「役者」はもちろん、その映画作品において役を演じる「人」のことですね。
しかし「演出」は、映画製作において誰かが行う「事」のひとつであり、「人」ではありません。「演出」を行う「人」のことを示す言葉には、「演出家」という名称があります。

つまり2行目は、それぞれ「人」「事」「人」を表す単語が並んでいるわけで、これがとても気持ちが悪い。なぜ1つだけ「事」を交ぜてしまったのでしょうか。

 映画で監督、演出家、役者

というように、すべてを「人」で統一したいと、自分はどうしても思ってしまいます。
あるいは、「監督」を「人」ではなく「映画製作を指揮・指導(監督)すること」という「事」を表す言葉として扱うのなら、

 映画で監督、演出、演技

というように、すべてを「事」で統一したい。

この「人」と「事」の不統一は、3行目でも続きます。


作詞に作曲、ギタリスト


あぁ、気持ちが悪い。


「作詞」は「歌詞をつくること」、「作曲」は「曲をつくること」であり、いずれも明白に「事」です。
しかし「ギタリスト」は「ギターを弾く人」のことであり、明白に「人」です。

つまり3行目は、「事」「事」「人」の並びになっているわけです。

「作詞する」「作曲する」とは言っても、「ギタリストする」とは言いません。
「私はギタリストです」は自然でも、「私は作詞です」「私は作曲です」は不自然です。
こういう不統一な言葉がひとつの文のなかで並列に扱われることが、自分にはとても気持ち悪いのです。

「作詞」をする「人」のことは「作詞家」と言い、「作曲」をする「人」のことは「作曲家」と言います。
ですから3行目は、すべてを「人」に統一し、

 作詞家に作曲家、ギタリスト

のほうが、それぞれの言葉がもつ意味の連なりとしては破綻がないと感じます。

ただ、ここは1行目の「魔法使いの脚本家」が「どんな人か」を説明する部分でもあるので、「作詞家」と「作曲家」をつなぐ言葉は「に」よりも「で」のほうが美しいですね。

 作詞家で作曲家、ギタリスト

逆に、すべてを「事」に統一することもできます。
「ギタリスト」とは「ギターを演奏する人」のことですから、すべてを「事」にするなら、

 作詞に作曲、ギター演奏

となりますね。
この場合、ここは1行目の「魔法使いの脚本家」が「どんなことをするか」を説明する部分となるので、「作詞」と「作曲」をつなぐ言葉は「に」のままで自然です。


そして4行目の最後は「ジョギング」という「事」で締められています。
ならば、全体を「事」で統一してしまいたい。

というわけで、これが広告のコピーではなく、ビジネス系・実用系の書籍の本文に書かれる文章であったなら、自分は次のように校正を入れたことでしょう。


 魔法使いの脚本家
 映画で監督、演出、演技
 作詞に作曲、ギター演奏
 多彩な男の日課はジョギング


「魔法使いの脚本家」は、映画では「監督」「演出」「演技」をし、音楽では「作詞」「作曲」「演奏」をする。そして毎日「ジョギング」している、と。こんな感じでいかがでしょうか。

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2019/12/04

語順とか助詞とか読点の位置とか、いろいろ気になる

日本語はけっこうフレキシブルな言語ですから、語順が多少前後しても助詞や読点が適切に使われていれば、それなりに誤解なく意味が伝わります。しかし、この記事の文章はいろいろ危険な感じがします。


実際にイリノイ州では昨年、納屋のドアに防犯のため散弾銃を使った罠を仕掛けて盗みに入った男が死亡している。

(Techinsight 2019.12.04 05:50 「【海外発!Breaking News】防犯用拳銃の罠に仕掛けた本人が被弾、死亡する(米)」より)
https://japan.techinsight.jp/2019/12/masumi12011403.html


死亡した(述語)のは「男」(主語)であることは明白ですが、その「男」の前にある部分の文章がおかしい。


「男」にいちばん近い「盗みに入った」との組み合わせは自然です。「盗みに入った男」が死んだと。
気持ち悪いのは「罠を仕掛けて」の部分です。


ちなみに、「散弾銃を使った」は「罠」の内容の説明ですね。「散弾銃を使った罠」を仕掛けたと。
「防犯のため」は、「罠を仕掛け」た理由の説明。「防犯のために罠を仕掛けた」と。
「納屋のドアに」は、「罠を仕掛け」た場所の説明。「納屋のドアに罠を仕掛けた」と。
「納屋のドアに防犯のため散弾銃を使った罠」という文章で、どこに、どういう理由で、どういうタイプの「罠」を仕掛けたかということが、説明されているわけです。


問題は、このあとです。
「罠を仕掛けて盗みに入った男が死亡」
これだと、「盗みに入った男」が自分で罠を仕掛けたように読めてしまいます。


実際は、罠を仕掛けたのは「盗みに入った男」が盗みに入った家の持ち主です。
それなのに、「盗みに入った男」という主語を修飾するように「仕掛けて」と能動態を前に置くから、おかしな感じになるのです。


せめて「罠を仕掛けて、盗みに入った男が死亡」という具合に、途中に読点があれば、「罠を仕掛て」と「盗みに入った」のあいだの結びつきが少し弱まり、それぞれ別の対象についての説明であるとの書き手の主張に多少の説得力が発生したかもしれません。
ただ、それでも読者のもつ「文脈を読む力」への依存度が高く、誤解を生む可能性のある文章表現だと感じます。


では、どういうふうに書けばいいのか。


「納屋のドア」とか「防犯のため」とか「散弾銃を使った」とかは「罠」の説明ですから、それらをいったん脇に置き、この文章が伝えたいことをごくシンプルにすると、


「盗みに入った男は、仕掛けられた罠で死亡した」


ということです。
これをもとに、脇に置いた「罠」の説明を戻していってあげると、たとえばこんなふうになります。


「納屋のドアに防犯のために仕掛けられた、散弾銃を使った罠で、盗みに入った男が死亡している」


ただ、これだと「納屋のドア」がけっこう強めに印象に残ります。
罠を仕掛けた理由は「防犯のため」であり、実際にその罠で「盗みに入った男」の犯罪を阻止している(少なくとも「住居侵入」以外の犯罪は防いでいる)わけですから、自分としては「防犯」を強調したい感じがします。
そうすると、語順としてはこんな感じでしょうか。


「防犯のために納屋のドアに仕掛けられた、散弾銃を使った罠で、盗みに入った男が死亡している」


なお、「罠」を説明する言葉が多く、全部をそのまま並べると長くなってしまうので、「死亡している」という述語に最も関係の深い「散弾銃を使った」だけを「罠」と直接に連携させ、それ以外の説明とは読点で区切りました。
「散弾銃を使った罠」で死亡することはあっても、「防犯のための罠」や「納屋のドアに仕掛けられた罠」で死亡することはあまりなさそうという理由です。


ちなみにこの記事、「防犯用拳銃の罠に仕掛けた本人が被弾、死亡する」というタイトルもなんだか気持ちの悪い文章です。
「罠」は「かかる」ものであり、「被弾」するものではありませんから、「罠に被弾」という組み合わせが気持ち悪い。
自分だったらどうするかな。たとえば、こんな感じでどうでしょう。



「罠に仕掛けた防犯用拳銃で本人が被弾、死亡する」


直しを最小限にするなら、「罠に」の「に」を「を」に替えて、
「防犯用拳銃の罠を仕掛けた本人が被弾、死亡する」
というのでもいけそうです。
ただ、これだと意味を明確にするには、「防犯用拳銃の罠を仕掛けた本人が、(仕掛けた銃により)被弾、死亡する」というように、( )内を読み手に補足してもらわなくてはなりません。
文芸などでは読者に「行間を読ませる」という考えもありますが、ビジネス系の書籍では「明確に、誤解がないように伝える」ことを重視することが多いので、読み手が内容補足をする必要がない文章にすることを、自分は意識しています。

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